同年代を生きたエリザベス1世と徳川家康の繋がりを見る
1613年〜1623年、日本と英国は国交を結んでおり、家康が贈ったイギリス王室に鎧や貿易許可証、また螺鈿細工の小物入れなどがイギリスに残されている。
当時のヨーロッパは宗教対立・大航海時代・植民地主義の最中で日本にもスペイン・ポルトガルから多くの宣教師が訪れ、すでに30万人近くのキリシタンがいたという。後発のイギリス・オランダは、家康に秀頼が家康を毒薬で暗殺するのではないかと、エリザベス1世とマリー・スチュワートの対立を以って聞かせた。1614年、家康は禁教令を出す。
1614年の大阪冬の陣では、イギリス製の飛距離の長い大砲が徳川側勝利の決め手になったとされ、徳川はプロテスタント、豊臣はカトリックの宗教代理戦争だったという分析もある。
後に各国大名が武器弾薬を輸入し力を付けたり、主君を失った武士が傭兵として世界で戦うことで世界の戦争に巻き込まれることを懸念した幕府は鎖国の政策へと進んでいった。