歴史秘話ヒストリア▽転職忍者ハットリ君の冒険~家康の“頼れる家臣”服部半蔵~

NHK総合 鹿児島 2015年12月9日 (水) 22:00 (00:45)
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みんなのレビュー

忍者も寡黙は×コミュ能力必要
忍者は契約社員みたいなものだったんですね。大変だ。
周囲の人から情報を入手するには、コミュニケーション能力がないといけません。
忍びもしかり。
服部半蔵は実は武士
服部半蔵が忍者ではなかったのは結構知られているかと思うが、出身が伊賀で父親までが忍者。忍者では食っていけなからい半蔵の父親は足軽に。

半蔵も足軽であったが、武勲を上げたことにより、家康から今でいう諜報部を任された。これが半蔵自体が忍者の頭領のように伝えられる一因となるんですね。納得。
服部半蔵 有名な忍者の正体
服部半蔵、マンガの影響で忍者と思わされてたが実像は武将だった。
伊賀越えの奇策等を見ていると戦術にも明るい武将だったと思います。
家康・信康に尽くした服部半蔵
服部半蔵の父は伊賀出身の忍びの者だったが、忍びの働きは臨時雇用で固定給がなかった為、一家で三河に移り松平家の足軽となった。

半蔵は戦いの度に武功を挙げ家康の嫡男 信康の側近に取り立てられる。

天正7年(1579年)、信康とその母であり家康の妻に謀反の疑いがかかった。半蔵は、武田家のすっぱによる情報操作を疑ったが、確たる証拠はなく、妻は処分、信康は切腹、半蔵はその介錯を務めることになった。

1582年、本能寺の変が起こった時、家康は京都で信長に接見した後、堺の町の見物中だった。手勢は僅か30名ほどで、戦の準備もなかった為、本拠の三河に一刻も早く戻る必要があった。恩賞目当ての山賊と戦いながら伊賀者の力を借りて、かの有名な伊賀越えを成し遂げた。

半蔵は江戸城西門の近くに屋敷を設けた為、西門はいつしか半蔵門と呼ばれるようになった。伊賀越えを助けた伊賀者は家康に召し抱えられ半蔵門を守った。伊賀の忍びたちは、江戸時代、徳川家の為に隠密となって働いた。隠れ蓑として和菓子屋をやっていたが、太平の世の中、和菓子職人が段々本業になり、今日に至る。


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