人工知能が人間の知能を超える瞬間ーーシンギュラリティ。
これに対する人間の考え方はだいたい二つに分けられる。
まずは人間の知能を超えた人工知能に人間は仕事を奪われ、さらにその先には人工知能に人類が支配されている未来があるだろう……という悲観派。古典的SFでよく繰り広げられた世界観だ。
かたや人工知能が発展し、人間の仕事を肩代わりしてくれるなら、人間は人間だけにしかできないことをありがたくさせてもらえばいいじゃないか、という楽観派。人工知能との共存派、とも言えるだろう。
自分は割と後者の考え方に近いが、ここで出てくる問題が、「じゃあ、人間にしかできないことってなんなんだ?」ということだ。
在庫管理・輸送インフラといった単純作業はすぐに人工知能にとって代わられるのは目に見えている。
しかし最近ではディープ・ラーニングにより、数多の症例を学習した人工知能が難病の診断を人間より的確にくだすというし、株取引の世界ではコンマ何千秒単位で人工知能が最適な取引を展開する。もちろん人間はついてこられない。特許の審査や、弁護の資料の検索に特化した人工知能が、実際に人間の代わりに文書作りやメールまでも作成しているという。
この状況で改めて「じゃあ、人間だけにできることってなんなの?」と問われると、しばしの逡巡ののち、「創造性のある仕事?」と応えざるをえない。
しかしそれも怪しい。囲碁や将棋はある意味、かなり創造性に富んだ仕事だったはずだ。それが人工知能に破れて久しい。
つまりディープ・ラーニングによる兆を超える対局(!)を経験した人工知能の判断は、人間のそれを遙かに凌駕しているのだ。そもそも人間は一生かけても兆を超える対局をすることはできない。
PONANZAを開発している山本も羽生との対談で「実際、こいつ(=PONANZA)が何をやっているかよく判らない」と告白している。さらには自分がしていることは「ブラックボックスに手を突っ込んで、何かごちゃごちゃ操作しているだけ。まあ、普通の人よりはうまく操作できてるんだろうな、という感じ」という驚くべき発言もしている。
番組序盤で山本は「コンピューターにできるのことはたったふたつだけ。正確に計算することと、大量のデータを扱えること」と言っていた。しかしそのふたつの集積であるPONANZAが、「何をやってるか判らない」のだ。そして「それでも強い」のだ。これはちょっと驚きである。ただの0と1の集合体が、である。
近い将来、シンギュラリティを迎えた人工知能が生命の仕組みや、心の成り立ち、宇宙の始まりといった「大きな問い」に対する答えを理解する時がくるかもしれない。
しかしその理解は人間の理解を遙かに超えているわけで、人間はおそらくそれを「知る」ことすらできない。そもそも「理解」という概念すらその頃には変わっている可能性があるのだ。
果たして人間の想像力や直感はどこまで、「人間にしかできない」ことを実現しているのか?
そんなことを考えながら、番組を観ていた。