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  • ニュース (2018-11-24 01:10放送)
    ニュース「2025年万博 大阪に決定」
    2018/11/24(土) 01:10-01:15 「2025年万博 大阪に決定」   (01:01ニュース速報テロップ) 永井克典 定時セット  中継:竹田恭子(パリ投票会場)、青木新(大阪市北区ビューイング会場)
  • オイコノミア「生まれ変わる“西成” 地域再生の経済学」 (2017-10-25 22:00放送)
    あいりん地区の地域再生
    大阪のあいりん地区は1970年の 大阪万博の頃に 日本中から若者が集まって日雇い労働者の街となった。 経済低迷と日雇い労働者の高齢化で、 路上生活者や生活保護受給者の割合が非常に多い。

    路上生活者や生活保護受給者は 西成特区構想で 職を得たり 地域貢献することで 承認欲求が満たされた。 西成特区構想の中心人物であった 鈴木教授は 規模の利益を利用して協力者を増やしていった。

    バブル崩壊後、職を失った日雇い労働者たちは 簡易宿泊所に泊まれず路上生活者となり、 簡易宿泊施設も立ち行かなくなった。また生活保護受給者は簡易宿泊所には宿泊できないためかつてあった簡易宿泊所は姿を消し福祉アパートやサポーティブハウスが増えている。更に今では外国人宿泊客も増えている。

  • 池上彰のニュースそうだったのか!! 2時間スペシャル (2016-02-27 18:56放送)
    電力自由化、マイナス金利、北朝鮮のミサイル問題、中国近代史、難民問題
    ■電力自由化
    2016年4月から始まる電力自由化は、小売りの自由化。

    ■マイナス金利
    日本銀行の役割は銀行の銀行、政府の銀行、紙幣の発行。
    銀行は日銀の当座預金にお金を預ける必要があるが、預けていないで企業に貸し出すように銀行の当座預金の金利をマイナス金利にしたというもの。これにより世の中に出回る金が増えるということ。

    ■北朝鮮のミサイル発射問題
    北朝鮮のミサイル発射で国連が制裁を推奨し、各国も独自制裁を行っているが、中国の支援があるため北朝鮮の軍幹部にはまだ富が流入している。中国は朝鮮半島の南北統一により①難民が流れ込む、②韓国在留米軍が国境付近に来る、この2点を恐れており、それを知っている北朝鮮も強気でいる。(弱者の脅迫)

    ■中国近代史
    1840年~42年のアヘン戦争に敗れた清は香港をイギリスに、マカオをポルトガルに取られた。それぞれ1997年、1999年に返還されたが50年間は資本主義を保つ”一国二制度”が採用され、行政・警察・貨幣もそれぞれ異なる。

    1894年~95年の日清戦争に敗れた清は台湾を日本に奪われる。大陸では清が崩壊し毛沢東率いる共産党と蒋介石率いる国民党の内戦が始まる。

    1937年~45年の日中戦争中は国共合作で日本に対抗したが、1945年日本がポツダム宣言を受け入れて撤退するとまた内戦が始まる。

    はじめは数が少なかった毛沢東率いる共産党は、①清潔さが国民にウケて、②同じ共産党のソ連の支援を受けて、蒋介石率いる国民党を台湾まで追いやった。共産党は台湾まで攻めたかったが同じ社会主義国の北朝鮮を助けているうちに、同じ資本主義の米国が台湾を支援して、共産党は台湾まで攻め入ることができなくなった。

    1950年代、毛沢東初代国家主席は大躍進政策を掲げたがこれは壮大な失策だった。コメの生産を増やそうとしたが結果数千万人が餓死したと言われている。

    毛沢東死後の1978年、鄧小平が主席になると「社会主義市場経済」が採られた。つまり政治は共産党、経済は資本主義。工業面では「改革開放」政策で外国資本を受け入れ世界の工場となり、農業の分野では「生産責任制」を採り食糧問題を脱した。政治的には事実上の一党独裁である。

    1989年6月4日、一党独裁に反対した学生のデモ「天安門事件」が起こった。共産党は学生デモにショックを受け、愛国教育を始めた。愛国教育は次第に反日教育となり若者の反日意識が強まった。

    世界の工場である中国はエネルギーが必要。そこで目を付けたのがアフリカ。中国は政府開発援助でアフリカを積極的に支援し、優先的に資源を獲得した。経済は成長し、2008年の北京オリンピック、2010年の上海万博で開花した。これは、日本の東京オリンピック(1964年)と大阪万博(1970年)と同じである。

    発展した中国は人件費が高くなり、さらに高齢化が急速に進んだことで、中国経済の発展には陰りが見えている。世界第二位の中国経済が世界経済に与える影響は大きく、今後も中国経済が注目される。

    ■難民問題
    日本は1970年代約1万人のボートピープルを受け入れたが、まだ難民条約に入っていなかった日本は当初は難民だった二人のベトナム人兄弟をたらい回しにした。見かねたアメリカが受け入れ、国際社会から非難を受けたという歴史がある。
  • 歴史秘話ヒストリア「1970 熱いぜ!祭りだ!万博だ!」 (2016-07-29 16:05放送)
    お目当のパビリオン目指してもうダッシュ 通称「バファローダッシュ」大阪万博の盛り上がりぶり
    6400万人が訪れたという大阪万博。
    当時の映像見るだけでもその盛り上がりぶりがわかります。
    当時日本のパビリオンでは携帯電話が展示されていたなんて初めて知りました。
    今はガラケーどころかスマホになってしまいましたが技術の進歩は凄いですね
  • 先人たちの底力 知恵泉 太陽の塔で日本を元気に!「岡本太郎 万博への道」 (2016-03-08 22:00放送)
    国立競技場の聖火台の悶着が小さく見えてきた
    万博を成功させるためには岡本太郎が必要だと言った丹下健三。その丹下が設計した大屋根に、本番3年前に穴を空けろと言った太郎。それを許し、構造計算をし直した協会。結果、900万人以上が訪れた太陽の塔が完成する。
    聖火台くらいでごちゃごちゃ騒がなくったっていいじゃないか。50年前の先輩を見習おう。
  • 池上彰のニュースそうだったのか!! 2時間スペシャル (2016-03-05 18:56放送)
    よく言う「~~以降」の「~~」を解説。納得!納得!
    [00:03:44]輸入自由化
    [00:06:38]男女雇用機会均等法
    [00:08:16]個人情報保護法
    [00:12:02]ゆとり教育
    [00:15:43]センター試験
    [00:22:42]IT革命
    [00:25:54]国鉄民営化、日本電信電話公社→NTT、日本専売公社→JT、日本国有鉄道→JR
    [00:33:43]東京タワー
    [00:35:03]健康増進法
    [00:36:16]大阪万博
    [00:37:45]東京ディズニーランド
    [00:38:18]宝くじ
    [00:39:22]リサイクル義務化
    [00:42:55]少子高齢化
    [00:49:44]ロッキード事件
    [00:55:10]暴力団対策法
    [01:00:11]東西冷戦
    [00:21:37]アメリカ同時多発テロ
    [00:26:06]バブル崩壊
    [01:41:08]リーマンショック
    [01:54:30]アメリカの金融機関の動向に要注意
  • ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅱ #2「SFは何を夢見てきたのか?」 (2015-10-09 23:00放送)
    今回は日本のSF史!これもまためちゃおもしろかった〜
    SFマガジンの創刊から大きなエポックとしての大阪万博、そしてその後の成熟期、エヴァ、そして伊藤計劃以降の現在まで。
    自分自身かなりどっぷりはまっていた世界だったので、そういう意味でもたいへん興味ふかく視聴〜
  • ワールドビジネスサテライト (2015-05-21 23:00放送)
    スローフード館のすぐそばにマクドナルド
    大江さんが取材するミラノ万博。食がテーマとのこと。

    スローフード協会が言うように「食ともっと向き合う」ってのは確かにその通りかもしれませんね。特に成長過程の世代についてはそう思います、食育という考え方があるとおり。考え方や理念、理想はわかりますが、背に腹は代えられないんだよなぁ。歩み寄れるんでしょうか?
    しかし、スローフード館すぐそばのマクドナルドで多くの人がハンバーガーを食べてる様はすごいアンチテーゼですね。

    トレたまのecoミニカー。面白いですね。こういうの男の子は好きですよね。自分も何気に欲しい。
  •  (放送)
    やっと僕らの80年代がやってきましたよ!
    自分も10代後半から20代前半を過ごした80年代に突入!懐かしさにキュンキュンしながらも、かつ興味深く拝見!
    YMOの革命から、そしてバブル、つくば万博の「TV WAR」からのディストピア論まで、80年代はやっぱり今でも自分のルーツだと再認識。
  •  (放送)
    デュフィは画家人生を通じて喜びを表現してきた。喜びは色で満たされている。
    デュフィは言った。
    「私の眼は醜いものを消し去るようにできている」
    「悲しみや苦しみは描きません。その色彩で歓喜を歌う。」と
    これこそ、デュフィの人生哲学であり、生きざまだ。
    1937年のパリ万博の電気館を飾るため、デュフィは「電気の精」を色彩豊かに描いた。
    一方、同じパリ万博のスペイン館には、ナチスの無差別空爆を告発したピカソの大作「ゲルニカ」が飾られた。この大作をピカソは無彩色で描き、以降、鮮やかな色彩に戻ることはなかった。
    色彩は人生の彩りでもあることを忘れてはなるまい。

    (以下、番組字幕からパリ万博の両者に係る部分を抜粋して掲載する。)
    025:49 ここにデュフィの集大成と言える作品があります。
    025:58 縦10m横60mの巨大な壁画。
    026:09 デュフィ60歳。
    026:11 それは人間と科学の叙事詩。
    026:20 古代ギリシャの数学者アルキメデスや→
    026:26 発明王エジソンなど→
    026:29 110人もの科学者が登場。
    026:41 彼らによって成し遂げられた科学技術の発展が→
    026:45 鮮やかな色彩と共に描かれています。
    026:57 最後の場面は人類の英知をたたえるオーケストラの演奏。
    027:04 それに乗せて電気の精が舞う…。
    027:15 この壁画は1937年→
    027:20 パリ万博の電気館を飾るために描かれました。
    027:27 そして同じ万博のスペイン館にはあのピカソの大作が…。
    027:38 この年に起きたナチスの無差別空爆を告発した「ゲルニカ」です。
    027:49 万博を訪れた建築家ル・コルビュジエはこう言っています。
    028:20 世界が戦争へと突き進む中→
    028:24 ピカソはこの絵を描く事で警鐘を鳴らします。
    028:34 一方デュフィは暗雲立ちこめる時代に→
    028:39 人々の心を明るく照らそうとしたのです。
    028:48 デュフィは画家人生を通じて喜びを表現してきました。
    028:54 その喜びは色で表されているのです。
  •  (放送)
    有名な太陽の塔の内部には生命の木という巨大オブジェがあったのか
    万博世代ではない私は、太陽の塔は知っていましたが、内部にあのようなオブジェがあることも、今は立ち入り禁止なことも知りませんでした。
    この番組は日本の立ち入り禁止区域へどんどん潜入取材して凄いですね。
    一般人が立ち入れない場所がテレビ(私の場合はガラポンですが)でなら見れるというのは、それだけで価値があります。